はじめに
本校ではこれまで第22回~31回の本学会誌において、循環器系1~4)(心拍数及び血圧の減少、末梢の筋血液量の増大及び皮膚温の上昇)、筋骨格系4~8)(筋の柔軟性の工場・脊柱の可能性の工場)、消化器系9~10) (消化管運動の亢進)への指圧刺激による効果を報告してきた。 佐藤ら9)、黒澤ら10)は下腿部及び腹部への指圧刺激により消化管運動が促進すると報告している。その結果をふまえ、今回は刺激部位を前頚部とし、消火管運動及び循環器へどのような影響を及ぼすかを検討したので報告する。
実験方法
対象
本学学生の健常成人21名で、男性12名、女性9名(平均38.8歳)であった。尚、被験者には予め実験内容を十分に説明し、同意を得て行った。また、実験当日に指圧等の刺激を受けることを避けさせた。
実験期間
2008年5月24日から8月20日
実験場所
日本指圧専門学校基礎医学研究室で行い、実験環境は、室温25.0±2.0℃、湿度63.0±12.0%であった。
評価項目
血圧
連続血圧計(JENTOW-7700、日本コーリン)を用いてトノメトリー法により、右橈骨動脈より導入した
心拍数
心電図第Ⅱ誘導を導出し、心電図のR波をトリガーとした瞬時心拍数(以下、心拍数)を心拍タコメーター (AT-601G' 日本光電製)によって算出した。
ドミナントパワー(以下DP)
蠕動運動の際に伴う、胃平滑筋細胞の電位(ERA)の大きさを示す指標。胃電図(二プロ社製)により計測される 生データをWBFA法でスペクトル解析し、遅波(0~2cpm)、正常波(2~4cpm)、速波(4~9cpm)、の3群に分類 し、それぞれの周波数帯の電位の変化を表した。
周波数
0~9cpmの波形中、1分ごとに最も高振幅をとる周波数。胃電計の電極の位置は、下記の通りである。(図1)
CH1:胸骨剣状突起と中心電極の中点を通る水平線と右鎖骨中線の交点。
CH2:胸骨剣状突起と中心電極の中点を通る水平線を左鎖骨中線の交点。
CH3:臍部と中心電極の中点を通る水平線と右鎖骨中線の交点。
CH4:臍部と中心電極の中点を通る水平線と左鎖骨中線の交点。
中心電極:胸骨剣状突起と臍部の中点
刺激方法
被験者の頭部後方より、頚動脈三角内にある頚動脈上に近い胸鎖乳突筋の内側縁を左母指圧で1点圧3秒5分の通常圧法を行った。(図2) 圧の程度は被験者が気持ちいいと思える程度(快圧)で実施した。
実験手順
被験者に、体調、食事時間、普段の腹部の調子などをアンケート用紙へ記入させ、被験者の状態を確認した。計測終了後は、実験環境や指圧の圧の程度、施術による腹部の調子等をアンケート用紙に記入させ、確認した。
計測手順
a) 安静15分(仰臥位)
b) 施術5分
c) 安静15分(仰臥位)
計測は、a~cの35分間行った。
実験場の留意点
実験中に両群の被験者に対して以下のことについて監視及び記録した。
a) 覚醒状態であること
b) 体動がないこと
c) 周囲が静寂であること
その他
被験者の当日の食事については、食事時間による制限をしなかった。
データ解析
血圧、心拍数の経時的変化
刺激前1分間の平均値をコントロール値(cont.)として、刺激中1分(St.1')、2分(St.2')、3分(St.3')、4分(St.4')、5 分(St.5')、刺激後1分(Af.1')、3分(Af.3')、5分(Af.5')、10分(Af.10')、15分(Af.15')、をそれぞれ比較した。
DP、周波数の経時的変化
刺激前5分間の平均値をコントロール値(cont.)として、刺激中(st0-5')、刺激直後(Af.0-5')、刺激5分後(Af.6- 10')、刺激10分後(Af.11-15')の平均値と比較した。
統計処理
血圧、心拍数、胃電図の経時的な変化を一般線形型による一元配置分散分析、Bonferroni多重比較で解析した。また、解析ソフトについてはSPSS Ver.15を用いて危険率5%以下を有意とした。
結果
実験中、痛みや不快感による中断例はなかった。
血圧の変化
最高血圧
刺激中2分で有意な低下を示した。(p=0.003)(図3)
最低血圧
刺激中1分(p=0.0017)で血圧の低下を示し、刺激中5分で血圧低下傾向(p=0.06)を示した(図4)心拍数
刺激中1分(p=0.013)、刺激中3分(p=0.001)の減少を示し、刺激中4分(p=0.094)に減少傾向を示した。(図5)
DPの変化
DP
DPは有意な経時的な変化はみられなかった。(図6)
各周波数帯域におけるDPの変化
遅波、正常波、速波ともに有意な経時的な変化はみられなかった。 指圧刺激による胃電図の遅波、正常波、速波に交互作用はなかった。(図7)
各チャンネルにおけるDPの変化
全てのチャンネルにおいて、有意な経時的な変化はみられなかった。(図8)
周波数の変化
周波数
周波数は有意な経時的な変化は見られず、正常波内で推移した。(図9)
各チャンネルにおける周波数の変化
全てのチャンネルにおいて、有意な経時的な変化はみられなかった。(図10)
考察
前頚部指圧刺激により、最高血圧、最低血圧および心拍数は有意な低下が見られた。これは頚部の皮膚および筋への刺激による心臓支配の交感神経機能の抑制または副交感神経機能の亢進、血管支配の交感神経機能の抑制による反応、また頚動脈洞圧迫による、圧受容器反射による降圧反応の可能性が考えられる。この結果は小谷田ら1)、井出ら2)の報告と同様であった。
佐藤ら9)は下腿外側部への指圧刺激によるDPの上昇は、上脊髄反射性に胃支配の迷走神経活動の興奮を介していると考察している。また黒澤ら10)は腹部への指圧刺激によるDPの上昇を報告している。これは、腹部内臓あるいは壁内神経叢が刺激され、内臓求心性神経を介した内臓―内臓反射によるものと考察している。
また、小谷田ら1)、井出ら2)は下腿部、腹部の指圧刺激において血圧および心拍数が低下することを報告している。
今回の前頚部指圧刺激において血圧、心拍数は低下するが、DPの上昇は認められなかったことから、DPに対する指圧刺激の反応は下腿部及び腹部への刺激と、前頚部への刺激では異なることが明らかになった。
今井ら11)は鍼刺激によるヒトの胃、心臓、汗腺への影響はそれぞれ独立した自律神経性の調節機構の元にあることを示唆している。今回の実験における循環器、消火器の反応も同様と考えられる。
以上の事より、前頚部指圧刺激は血圧、心拍数には影響を与えるが、胃運動には影響しないという事が明らかとなった。
結語
健常成人を対象とした今回の実験で以下のことが明らかになった。
- 前頚部への指圧刺激によって、血圧は刺激中に有意に低下した。
- 心拍数は刺激中に有意に低下した。
- ドミナントパワー(DP)の有意な変化は見られなかった。また、周波数は正常波内で推移し影響は少なかった。
謝辞
稿を終えるにあたり、本実験に協力して頂いた本学学生及び教職員諸氏に心より感謝に意を表す。
参考文献
- 小谷田作夫他:指圧刺激による心循環系に及ぼす効果について、東洋療法学校協会学会誌22号:40~45、1998
- 井出ゆかり他:血圧に及ぼす指圧刺激の効果、東洋療法学校協会学会誌23号:77~82、1999
- 蒲原秀明他:末梢循環に及ぼす指圧刺激の効果、東洋療法学校協会学会誌24号:51~56、2000
- 浅井宗一他:指圧刺激による筋の柔軟性に対する効果、東洋療法学校協会学会誌25号:125~129、2001
- 菅田直記他:指圧刺激による筋の柔軟性に対する効果(第2報)、東洋療法学校協会学会誌26号:35~39、2002
- 衛藤友親他:指圧刺激による筋の柔軟性に対する効果(第3報)、東洋療法学校協会学会誌27号:97~100、2003
- 田附正光他:指圧刺激による脊柱の可動性及び筋の硬さに対する効果、東洋療法学校協会学会誌28号:29~32、2004
- 宮地愛実他:腹部指圧刺激による脊柱の筋の柔軟性に対する効果、東洋療法学校協会学会誌29号:60~64、2005
- 佐藤広大他:下腿指圧刺激による胃電図の変化、東洋療法学校協会学会誌30号:34~38、2006
- 黒澤一弘他:腹部指圧刺激による胃電図の変化、東洋療法学校協会学会誌31号:55~58、2007
- 今井賢治他:鍼刺激が引き起こすヒトの胃電図、瞬時心拍数および交感神経性皮膚反応の変化とその機序に関する研究、明治鍼灸医学19号:45~55、1996