指圧の心、母ごころ

3期 稲場哲夫 日本指圧専門学校同窓会「会報」 第33号 平成24年5月1日発行

母 指圧操作は指圧の主体であって、片手母指圧、両母指の外側の先端をそろえて 行うハの字形両手母指圧と重ね母指圧とがある。前頚部は必ず片手母指圧で行う。また幼児の場合、全体に片手母指圧を用いる場合がある。通常、ハの字形の両手母指圧を行うが、集中圧の場合に重ね母指圧を行う。ハの字形両手母指圧は、左右5分・5分の圧でおすと皮膚を挟むことがあるので人とか入字形が良い。人、入という字の角度は45度の斜線で、一番安定感のある水平、垂直に次いで、見る人に安心感を与える、45度をあらわしているのである。指圧おいても人・入字形両手母指での垂直圧が一番姿勢が安定して良くきくのである。

上・中・下とおす場合に、中は人・入字形の45度垂直圧がいいのだが、上部をおす場合に人・入字の角度を鋭角(母指をタテ目にそろえる)この指の構えをかまきり型、また人・入字の角度を鈍角(母指を横にそろえる)指の構えをがま型とし、指圧のおし方として、かまきりおし、がまおしとする。かまきりおしでは肘を脇腹から遠ざける肘をはったおし方である。(上:かまきり 中:45度 下:がま)

指圧は母指(主として母指腹)を多く用い、他の四指は補助的に応用操作する。母指を軽く自由にコントロールするコツは、おすときに小指にこころもち重心をかけ小指の指腹に体を密着させ、体から放さないことである。そうすると手首の動きがらくに動き母指の中手指関節節が出しやすくなる。甘手も苦手も母指の中手指節関節を出しておすことが一番大事である。中手指節関節を出すことにより、肘のゆるめとつながり、肘の引き締めにより手ぬぐいを絞るごとくとか、患部のコリに対しても、もつれる糸をほぐすごとくとか、骨髄まで達するおし方など千差万別の妙味が発揮できるのである。

『天地一指』

天が陽・+・右手
地が陰・-・左手
右手と左手を合わせると合掌となる。祈りの構えとなる。
(抜苦与楽をもって慈悲となす。)というが、相手の苦しみ、痛みを楽にしたい、正に母心の構えである。
親指を人とか入字につけると、両手母指圧の構えである。
左手を診断、右手を治療とすると、診断即治療の構えである。
前頚部は片手母指圧
側頚部は両手母指圧
後頚部は重ね母指圧

生かすも殺すも首の治療。

精神勤労者には首の固い人が少なくない。これは主として精神の過労や内臓の疲労に原因するものであることは経絡の流注を見ても窺われる。即ち邪気が実しているからである。この邪気を取り除いて柔軟にして弾力のあるように暖解するには、指圧の最初の一圧は特に慎重を期し、施術部位の虚実、指頭に心眼を開いた母指頭で推察し、その虚実に応じて補瀉の指圧を促し、虚せず実せず調和のとれた柔軟にして弾力性のある肉体にすることにより、臓器の疾患は緩和し、各種の細胞が独自の活動を開始し、自然治癒力が喚起せられ、健康を取り戻すと共に健全な精神も宿ることになるのである。

指圧が上達するためには、「コツ」を会得しなければならない。「コツ」とは「術」のことである。術は教えられるべきでなく、体得するものである。「習うより慣れろ」といわれるように、何回も何回も繰り返し求め行することが大切である。

指圧を理解しない人々の中には、指圧はあん摩の中の圧迫法だと誤解しているようだが、これは根本的な間違いである。圧迫法だと思うから強くおせば良いと考え、遂には棒切れでも良いという考えになるのである。 指圧はあくまでも読んで字のごとく指でおすのである。指は生命であり人間に意思と実行を代表するものである。修練された指圧師の一圧の中には、おすことも、揉むことも擦ることも或いは引くことさえも含まれていて、患部の状況に応じ千差万別化の診断即治療が行われるものである。

この指圧の極意を会得し指圧の醍醐味を満喫できる境地に達するには、ただただ一心不乱・・・指圧の真髄を求め行ずることである。是非ガンバッテ勉強していただきたい。 指圧療法は、病気を癒してくれるばかりでなく、健康力と生命力をよみがえらせ安静を要する病人にはそのような手当てを、軽い病気にはそのような治療を、また病気の予防にはそのような健康法を、随時随時適宜に施すことができる理想的な予防医学でもある。

指圧とは指でおす療法である。痛い所をおすのは人間の本能的操作で、この本能は神様から授かった知恵である。生まれたばかりの赤ちゃんが母親のお乳を吸う、年頃になると恋心が芽生えてくる。食欲も性欲もみな本能からきた神様からの知恵であるが、この神様から授かった操作を科学的に体系づけたのが今日の指圧である。

『暑さ寒さも彼岸まで』という諺があるが、実に季節の移り変わりを上手に表現した言葉であり、また真理であるから、今日まで伝えられている。そして今後、指圧が存在する限り、永遠に伝わるもうひとつの言葉がある。それは『指圧の心、母ごころ』である。この母ごころのない指圧は人を救うことはできない。それは人を救う指圧が存在する限り続くと確信している。

人間は生きていくためには、自分自身を大切にしなければならない。それだからといって、自分のことばかりしか考えぬ、我利我利亡者のような、利己主義者には、本当の幸福は訪れない。共に生き、共に栄える。「共存共栄」そして天地自然の恵みに感謝する、素直な心、報恩の心、この心が幸運を招く心なのである。最も美しい尊い心は、「母ごころ」である。惜しみなく与えて、奪うことを知らぬのが、母ごころである。母ごころとは、思いやりの心なのである。

指圧は単なる刺激療法ではない。物理療法でもない。生命と生命の融合し合う「生命療法」である。「人は病の器」というが、その「病の器」を「健康の器」にするのが指圧療法の使命である。「おせば生命の泉わく!」生命の泉がわく指圧・・・これが指圧の真髄である。

全身療法は指圧の治癒効果を高める上にぜひ行わなければならない重要操作である。局部治療にとらわれず必ず行うようにしていただきたい。よく「指圧の先生に治療してもらったそのときはよかったが、後はまた元通り」などという声を聞くが、調べてみると10分か15分の局部圧迫をしたにすぎないのが多い。これでは真の指圧療法とはいえない。

身も心、耕す技(わざ)に意味あふれ 生きて行く道光りかがやく

(心・技・体で心身統一して、荒れた体、凝った体を指圧で耕すの意)

千里の道も一歩からという。コツコツ歩く、コツコツ勉強するというようにコツコツと続けること、それがどれほど偉大なことか、そしてどれほど苦しくてむずかしいことか!しかしむずかしい面、偉大な面だけをみて敬遠してはならない。むずかしいことややさしいこと、偉大なことと、身近なことは一枚の紙の表裏なのである。やさしいことだから続けることが可能なのである。そして続けなければならないことがむずかしいのである。どんな偉大なことでも継続がなければ、それは単なる気まぐれ三日坊主である。その場限りで消えて行く。継続、反復がロスや欠点を発見、矯正し反省によって熟練を生み出し、やがては神技や奇跡を作り出すのである。単純で簡単なこと、誰でも知っていること、誰でもできること、それをコツコツと続けるだけで想像を超える偉大な効果を発揮する。それが人生である。

単純、徹底、極限、無我・・・我を忘れておす指に ひびくは奇しき力ぞや

指圧のスローガンに、指圧の心 母ごころ おせば生命の泉わく というのがある。この母ごころというのは、相手の身になって思いやる心である。思いやりの心が大切なのである。指圧療法はこうした「愛」のしるしから出発している。ゆえに指圧する心には愛がなければならない。それは人と人の心のふれ合いである。